2012年



ーー−11/6−ーー 5回目の展示会迫る


 
毎年恒例となった千葉県習志野市における展示会。5回目となる今回は、明日11月7日(水)から五日間の日程で開催する。同業者の間では、展示会は5回目辺りが正念場と言われている。主催する側も、観る側も、新鮮味が薄れて、気持ちが入り難くなるのがこの時期なのである。グループ展などでは、仲間内がギクシャクして、空中分解してしまう恐れがあるのも、この頃である。

 昨年は開業20周年記念ということで、今までに無い規模で行なった。それに比べると今回はかなり規模を縮小した。しかし、内容はむしろ充実している。今年の新作も何点か揃えたし、それらの評判も既に良いものが聞こえている。

 これまでの経験から、必要性が薄いものは省略し、代わりに的を絞るべき所に力を入れた。スポーツ選手は、試合の中で上達すると言う。私も、展示会の中で成長すると言われたいものである。

 5回目のジンクスなど吹き飛ばして、中身の濃い展示会にしたいと思う。ご都合の付く方は、ぜひご来場下さい。

 展示会の詳細は→こちら




ーーー11/13−−− 展示会の結果


 茜浜の展示会が終わった。正直なところ、厳しい結果となった。

 特殊な状況を伴う展示会ではあるが、二回連続で来場者、売上げとも減少傾向となった。現在の不景気、3.11以降の世相の変化など、一般的な要因もあるだろう。それに加えて、「柳の下のドジョウ」的なものをあてにしてきた、わが身の能天気の、必然的な結果とも言えよう。

 自分としては、新たな出会いもあったし、見えない部分での成果はあったと感じてはいる。しかし、支援してくれた多くの方々のことを考えると、不調に終わってしまったことを申し訳なく思い、責任を感じる。

 疲れ切って、昨晩帰宅した。一夜明けた安曇野の、のどかな陽射しが、刺すように眩しく感じられる。5回目のジンクスに打ちのめされそうな、事後の私である




ーーー11/20−−− ヨット自作のバイブル


本棚の端に「スパローK」と書かれたファイルがあった。久しぶりに、手に取って開いて見た。これは全六葉の、ヨットの製作図面集である。

 私がこの仕事を初めてまだ二、三年の頃、松本クラフトフェアで、手作りのカヌー型ヨットを出展している人と知り合った。私が若い頃ヨットをやっていた話をすると、「それならご自分でヨットを作れば良いでしょう」と勧められた。そして、横山晃氏の名前を出して、その著書を読み、図面を購入すれば、ヨットが作れると教えてくれた。

 横山晃氏については、以前からお名前だけは知っていた。日本のヨット設計の第一人者と言われた人である。太平洋単独横断を成し遂げた堀江謙一のマーメイド号も、横山氏の設計であった。

 私は早速、横山氏に手紙を書いた。すると返事が来て「あなたのように職業木工家で、しかも乗艇経験がある人は、ヨットを自作するのにうってつけです」と励ましの言葉が書いてあった。そして、初心者でも作り易いヨットとして、スパローKを勧めて頂いた。それに応じて購入したのが、この図面集であった。

 6枚の図面全てに、「この図面は大竹收氏の1521号艇一隻を建造するための図面ですから、他の用途に使わない事。設計者の許可なく複製しない事。」との注意書が記されている。ヨットの図面を購入するという事は、その船を一隻だけ作る権利を買うということなのである。そして、二隻目以降を作る場合は、設計者に追加の料金を支払い、新たな艇番号を貰うことになる。

 権利を買うなどというと堅苦しいが、横山氏は図面を購入した人に対して、造艇に関する問い合わせに応じ、アドバイスを惜しまなかったそうである。私の手元にも、氏の直筆の手紙、製作に関するアドバイスが残っている。設計者は、船が完成するまで責任を持って面倒を見るという姿勢であった。

 残念ながら私は、図面は手に入れたものの、ヨットを製作するには至らなかった。そこまでやる余裕が、無かったのである。この図面集は、その当時の私の夢の証しとして、本棚の隅に眠っている。

 ところで上に述べた横山氏の著書。「新ヨット工作法」というタイトルで、ヨットの自作を目指す者にとっては唯一の指導書、バイブルとも言われた本であった。私も本屋で取り寄せて購入し、一通り目を通した。これはヨットの製作法を書き記したテキストではあるが、内容はそれに留まらない。氏のヨット製作に係わる思想と哲学が詰まった、一冊の名著である。

 本の序文は、「船を造ろうと云う意欲が、失望から人間を救うに違いない」との言葉で始まる。これだけでも、激しいインパクトがある。

そして、

「人間にとって、船は単なる道具ではなく、希望と自由と、勇気と信頼のシンボルだった。それは昔の話だけでなく、現代と未来のテーマとしても重要であるに違いない。

 波は、風は、海のすべては新鮮で素晴らしく、そして恐ろしいと云う現実は、大昔の人々にとっても現代人にとっても変わるところはない。だからこそ、船を自分の手で造り出す意義は大きい」 と続く。

 さらに、「ヨット作りにプロもアマも無い」という趣旨の事も書いてある。ヨットで海に出る事は、命を懸けた行為である。自作の船が壊れて沈んでしまった時に、素人が作ったんだから仕方ないでは済まされない。プロもアマも関係なく、全力全霊を傾けて臨まなければならない、真剣勝負だというのである。

 直接木工家具作りに関係があるわけではないが、襟を正されるような本である。
  




ーーー11/27−−− 蕎麦の収穫


 
常会(町内会)の有志で、蕎麦の実の収穫をした。メンバーの一人の蕎麦畑。皆が協力して収穫をしてくれるなら、三分の一だけ種として取り、残りは一同に提供するとの申し出があった。それを受け、収穫した実を使って、蕎麦パーティーを行なおうという話になった。

 11月初めの日曜日の昼過ぎ、10名ほどが畑に集まった。私は蕎麦の収穫作業に立ち会うのは初めてである。展示会前の忙しい時期ではあったが、体験してみたいという気が先に立って、参加した。

 メンバーのうち二人が刈払い機で蕎麦の茎を根元から切り倒す。他の人たちは、それを拾い集めて、地面に大きく広げられた青シートに積み上げる。そして木の棒や竹竿で叩く。そうすると、蕎麦の実が茎から剥がれて下に落ち、シートの上にたまる。茎の山を、ほぐしたり、ひっくり返したりする作業を何度も繰り返し、まんべんなく叩くようにする。

 十分に叩いて、実が落ち切ったと判断したら、茎を取り除く。すると、シートの上に蕎麦の実が残る。しかしこの時点では、千切れた葉や茎の残骸などが混ざっているので、一見したところただのゴミの山である。この中に食べられる物が入っているとは思えない。そのゴミ状のものを、篩にかける。すると、大まかなゴミは除かれて、蕎麦の実が目立つようになった。それを袋に詰めて、屋敷の方へ移動する。

 納屋の前に、木製の箱のような道具が置いてあった。唐箕という名前だそうである。箱にハンドルが付いていて、それを回すと内部の送風機が回って風を起こす。その風の流路の上に漏斗があり、そこから蕎麦の実を落とすと、軽いゴミは飛ばされ、重い実だけが下に落ちる。落下した実は、斜めの樋を伝って、箱の外に排出され、容器の中に溜まる。原理は単純だが、その効果はまことに明瞭で、溜まった実には一切ゴミが混じっていなかった。

 最後に、実を納屋の軒下に広げた。ここで数日間乾燥させる。シートの上に広げたとき、指先にからまる蕎麦の実の感触が心地良かった。展開されたこげ茶色の粒々は、午後の穏やかな日を受けて、艶やかに輝いていた。

 刈り入れからこの状態になるまで、つまり地面に生えていた植物から、食べることが出来る実を外して選別するまで、一見原始的であるが、極めて合理的な方法だった。農業に携わる先人の、知恵と工夫が感じられた。自然の恵みを頂いて生きるという事の、片鱗に触れた思いがし、ちょっとした感動を覚えた。









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